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遠野、クィーンズメドウカントリーハウスにて


2018年の最初の半年が終わり、 7月からの新しい半年の始まりに、遠野を訪ねました。

日常を離れて 自然と馬と人と、それぞれの間合い、関わり合いを感じる場所。

「自然は曲線をつくり、人間は直線をつくる。 直線は、人間にとって取り扱いが便利だからだ。」 (という趣旨のことを、湯川秀樹博士がいっていたらしい)

わたしたちの身体にも、直線はない。 微細な曲線で構成されたわたしの身体や精神が馴染んでいくのも やはり微細な曲線であり、不揃いな世界のように思う。 均一な、型にはめられた、平面的なものに、身体も精神も、馴染んではゆきづらいのかもしれない。 わたしたちは、環境に大きな影響を受けている。

7月でも遠野はまだ寒くて 仲間たちが暖炉に火を入れてくれました。 すごーく寒いというわけではなかったけれど、 暖炉は、その後わたしたちの憩いの場に。

燃える火をみつめていると、次第にマインドがしずめられていって、瞑想的な状態になるように思います。 静かな、素直な自分に戻るような。

海の波をながめることも、わたしには同じように大好きな時間。 火も波も、常に一定ではなくて、刻々と表情を変える。 それをただみつめて、パチパチと薪が燃える音や、波の音をきいているうちに、火や波という自然に、自分がチューニングされていく。

こうした自然の現象だけでなく、木や草や動物の皮を使って、人の手でつくられた空間に身を置くことも、それに近い感覚をもたらすことを、今回感じたのは、ちょっと大きな発見だったかも(遠野のあとに寄った益子の参考館も、何時間でもいられそうな場所だった)。

遠野の自然や、初めての場や、人との関わりは、受けとめる/受けとめられることの大きさを感じた時間でもありました。

人は、受けとめてもらえるから、その先に進んでいけるのかもしれない。 そして、それは与えながら受けとり、受けとりながら与えるという、循環であるようにも思います。

2018年の最初の半年は、言葉にしようとしても、なにかを言おうとしてみても、そうではない、それだけではない、という感じ、自分の感覚に届かない感じがありました。

なにかを語れば、語られないなにかがある。 語られない、語れないなにかのほうが大きく感じられて。

といって、今はまだ語れるところにはいないのだけど。

遠野で、感覚に身を浸した一週間があったこと、 共に過ごした人たちがいてくれたおかげで ようやく、その先に進めそうな気がしています。

なんてことを、ぼんやりと思っているうちに、人生はまた転がり始め、、、。 常に変わらないものは、ないんですよね。

明日は、またちょっとひとやすみして、熊野で死と再生をテーマにした会に参加してこようと思います。 遠野で感じた、ケアとアテンションのことに、つながるなにかがあるような、ないような。。。初熊野、楽しみです。

つらつらと、長ーい文章におつきあいくださって、ありがとうございます。


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